2003_11_「アメリカという国」を考える(その十二) ──国防長官がネオコンと対立──(渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢青淵記念財団竜門社

機関誌「青淵」(二〇〇三年十一月号)

 

「アメリカという国」を考える(その十二)

─国防長官がネオコンと対立─

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 フセイン政権打倒後のイラクの「ネーション・ビルディング」での多くの目算違いに直面しているブッシュ政権内で、ラムズフェルド国防長官とネオコン・グループとの間の意見対立が表面化してきた。これまでイラク戦争の遂行を強力に推進して来たもの同士のいわば内輪の論争であるために、アメリカ世論全体の注目を集めるとこのまでにはいたっていない。

 しかし、本連載の九月号で報告したフセイン打倒後の「ネーション・ビルディング」段階での多くの目算違いが、一年後に大統領選挙戦が迫ったブッシュ政権の肩に重くのしかかり、民主党側がイラク情勢をベトナム戦争時の「ドロ沼化」にたとえて激しい攻勢に転じ、ブッシュ大統領への支持率も再選を目指す大統領の任期三年目の水準としては「復元可能」のぎりぎりのところまで落ち込んできている状況下で、見逃せない動きである。

 そして私には、この論争は、イラク開戦六カ月、あっという間に受け身に回ったブッシュ政権のこれからの対イラク政策の「出口」をみきわめるうえで重要だと思える。

 

 

 米軍増派よりイラク人徴募

 

 量初に、九月二十九日のウォール・ストリート・ジャーナル紙のオピニオン欄に掲載されたラムズフェルド国防長官自らの最新の主張を紹介しておく。

 ラムズフェルド長官は、まずイラク占領中のアメリカ、イギリス軍などが困難かつ危険な状況に直面していることを認めながらも、占領開始後五カ月で新聞やテレビがあまり伝えない実績、すなわち①四万人以上の新イラク警察の発足、②新イラク陸軍の訓練開始、③主要な病院、大学の再開、④新イラク中央銀行の設置と新貨幣の発行、⑤イラク統治評議会の発足と閣僚の任命、⑥主要都市、ほとんどの町村での議会の発足─といった治安維持と民間復興面での成果を、かつてのドイツ占領開始時をはるかに上回るスピードで達成している事実に目を向けてほしいと訴えた。そして、現在以上のアメリカの軍の増派は必要ないといい切った。

 その上で、ラムズフェルド長官は「アメリカ軍を増派せよと主張する人々は、現地のアメリカ軍指揮官やイラク統治評議会メンバーがいま必要なのはアメリカ軍ではなくイラク人要員の徴募であると述べていることを無視しており、イラクの統治責任をイラク国民に引き渡すというわれわれの目標実現に本当に役立つ意見なのかどうかを考えてもらわねばならない」と決めつけた。

 同長官はさらに「イラク国民が自らの国の統治と安全の責任をにない、外国の軍隊が撤退出来るように援助することがわれわれの目標である。イラクを再建するのはアメリカではなく彼らであり、彼らが再建軌道に乗せられるように道すじをつけるのがわれわれの役割である。ブッシュ大統領が合計四百億ドルのイラク援助支出を求めるのはこのためである。イラク国民が自らの手で自らを守ることが出来るようわれわれが早く援助をすれば、それだけわれわれが早く引き揚げることができ、イラク国民がその将来を自ら決めることが可能になる」と説明している。

 

 

 簡易型ネーション・ビルディンクを批判

 

 ラムズフェルド長官がいう「アメリカ軍を増派せよと主張する人々」とは誰か。ネオコン・グループの論客たちのことである。彼らはいまこのラムズフェルド・テーゼに真正面から反対する。より正確には、ラムズフェルド長官の寄稿自体、八月末以来、ネオコンの機関誌「ウィークリー・スタンダード」誌上などで、ウイリアム・クリストル同誌編集長はじめ、ロバート・リーガン、トム・ドネリーといった面々が展開していた痛烈なラムズフェルド批判とアメリカ軍増派要求に対する反論でもあった。ネオコン側の主な主張は次のようなものだった。

「アメリカ軍の兵力が十分でなく、国境や高速道路の警備には手が回っていない。国連への多国籍軍派遣要請や治安部隊のイラク人化だけを急ぐのでは実力の裏付けに欠け、イラクに強固な民主主義を築き、中東民主化の突破口とするというアメリカの責任を放棄するものだ。必要なコストと兵力の投入をちゅうちょすべきではない」。

「ラムズフェルド長官は占領までの戦争では、動員兵力を少なくしてハイテク兵器に依存した戦略で成功したかも知れない。しかし治安維持やゲリラとの戦争では必ずしもハイテク兵器は役に立たず、十分な兵力の展開による伝統的な面の支配が不可欠だ。現地指揮官もこの点を不満に思っている。ラムズフェルド長官が推進するアメリカ軍改造合理化計画は、イラク戦争で勝利をおさめなければならない現在の時点では二次的な存在であるべきだ」。

 

 

 相当な食い違いである。

 

 ラムズフェルド反論に対しては、二日後の十月一日、同じウォール・ストリート・ジャーナル紙のオピニオン欄にネオコンの大物理論家、「歴史の終わり」で知られるフランシス・フクヤマ、ジョン・ホプキンス大学教授が「ネーション・ビルディング"ライト"」と題する論文を寄稿、反撃に出ている。"ライト"とは低アルコールビールのことで、フクヤマ氏は「本物のネーション・ビルディングは人種の尊重、法の支配、政党の役割といった民主主義の基礎を学習させていく、きわめて複雑かつ時間のかかる仕事である。早急な、かたちだけでのイラク人への責任委譲を強調し、新イラク国家発足を理由にアメリカ軍撤退を正当化する「出口」を探る低アルコールビールのような簡易型ネーション・ビルディングは間違いである。なんのためにフセインを打倒したのか、これまでの努力と投資が無意味になる」と激しく指摘している。

 いまラムズフェルド長官は国連の場に再び多国籍軍派遣や援軍支援で協力を求めるパウエル国務長官とは一線を画しているとみられている。しかし、同じくイラク人への責任委譲が出来る日までアメリカ軍はイラクにとどまると繰り返すパウエル国務長官と国防長官、そしてその二人の上に乗っているブッシュ大統領の本音は、意外にこのネオコンが反発する簡易型ネーション・ビルディングにイラク介入の「出口」を求めることなのかも知れない。今後注意が必要なアングルだと思う。

 私は一九七三年三月、ニクソンのベトナム人化計画でアメリカ軍が「名誉ある撤退」を果たしたあと、わずか二年後にサイゴンの親米政権が崩壊するベトナム戦争の最終局面をインドシナの現場で取材している、アメリカの極めて利己的な「出口」戦略を目撃しているわけである。

 したがって、そろそろ四年に一度の大統領選挙が一年後に迫ったことでもあり、ブッシュ政権にとってイラク戦争は「第二のベトナム」となるのかどうか─という重い問いに答える作業を始めてみなければならない、と思う。次号以後、適宜チャレンジしたい。

© Fumio Matsuo 2012