1969_09_ワシントン特派員の悩み─反響電のからくり─(新聞研究)

ワシントン特派員の悩み

 

松尾文夫

 

 

 すさまじい「同時性」の進行

 

 今春、ニューヨーク一年、ワシントン三年と三か月の特派員生活を終え帰国した記者が一番驚いたのは、日本と米国とのすさまじいばかりの「同時性」の進行である。とくに一般の生活面で、自由化の名のもとに進んでいるアメリカ的生活様式との一体化には目をみはらされるものがあった。どこに買い物にはいっても、チリ紙(いまやティシューと呼ばねばならないらしい)から洗剤まで、ついこの間までワシントン郊外のスーパーマーケットでおつき合いしていた商品のカタカナ版が、全盛をきわめているからである。

 いまや日本の夜を支配する「スナック」のように、「創造的輸入」の才覚もいぜん健在であることもよくわかりながらも、沖縄交渉を追って日米の国家的利益のぶつかり合いを考えつめて来た目には、一瞬とまどうようなアメリカ化の諸現象であった。

 しかし、それにもまして印象的なことは、情報の同時性化であった。米国の娯楽、スポーツ、フアッション、レジャー、それに映画、テレビをはじめとする芸能、芸術、文化全般にわたっての「情報」が瞬時に日本に伝えられ消化されていく過程は、大体赴任前の経験から見当がついていたが、政治、経済、社会ダネのいかんを問わず、米国発信の生ニュースの質、量、スピード三拍子そろっての同時性化はやはり予想を上回っていた。

 とりわけストレートニュースのカバーのきめの細かさは五年前の比ではない。帰国後四か月、まだ毎日の新聞をくるたびに「このニュースまで載っているのか」との感嘆は絶えない。大統領選挙にしても、ベトナム政策、ABM論争にしても、アポロ11号にしても、米連邦政府予算にしても、あるいは最近のエドワード・ケネディ議員事故のニュースにしても、日本の新聞ほどくわしく、早く紙面をさく米国の新聞は本当に十指にもみたない。

 とにかく米国の新聞、出版物が紹介されるスピードは、信じられないほど早くなっている。ニューヨーク・タイムズ日曜版の第四分冊(解説、論評)の東京印刷版はいまわずかに三日遅れ。米国の中西部や西部、南部で手に入れるのとそう違わない。以前はまる一週間遅れだった。

 出版についてはこんな経験がある。いまベストセラーのドラッカーの『断絶の時代』は、記者が帰国直前の二月末、ワシントンの書店に姿をみせた。入手したいと思いながら八ドルなにがしという高い値段と転勤のごたごたですぐには読めないし、いずれ三、四か月たてば間違いなく翻訳も出るだろうからと自分に言いきかせて帰国したが、その翌朝、朝刊を開いてうなった。「日米同時発売」と銘打ってその本がでかでかと広告されてあったからである。

 

 

 深夜の"ワシントン反響頼む"

 

 前おきが長くなったが、ワシントン特派員の悩みは、この日本でのあまりにも行き届いた米国ニュースの「同時性」のはねっ返りを受けるところからはじまる。

 その一つがワシントン時間の深夜、カタカタと舞い込む「ワシントン反響頼む」の訓電対策である。美濃部氏の都知事当選が決まったから、佐藤首相が三選されたから、また内閣を改造したから、屋良主席が当選したから、全学連が米大使館に突入したからETC……と、この訓電はかぎりがない。もちろんソ連のチェコ侵入、中国文化大革命の劉少奇追放、英、仏の選挙や政権交替といった国際的大ニュースへのワシントンの反響を伝える仕事も決して少なくはないが、難物はこの日本での事件にたいする"反響"打電である。

 たとえば、深夜、それもあたりが寝静まった真夜中すぎ、テレックスが突如、床をゆるがせて鳴りはじめ、「美濃部の�結椏s知事当選が確実となった。夕刊用に反響60行頼む」と無情なローマ字の列。まるで念を押すようにチンチンとベルが二つ三つ鳴って入電終わり。泣きだした子どもの声を聞きながら、さてと考える。

 ──夕刊用ということは、いますでに日本時間午後一時、あと正味三〇分しかない。だれかに電話しなければならない。といってもだれが美濃部のことを知っているか。ここから数えた方が手っとり早い。最近都知事選のことを話したのは国務省のAとB、それに、元東京大使館員でいまは日本問題研究者のCの三人しかいない。間違いなく関心を持っている当局者もあと二、三人頭に浮かぶ、いずれもワシントンではわずか一握りの「日本が商売」の専門家たち。ニューヨーク・タイムズはこの間の日曜版の第二分冊の奥深い一列で選挙戦のもようを報じてはいたが……しかし、しかし、この真夜中、みんなを起こすのはムリ。一番えらいAはこのあいだ議会の沖縄証書でたたき起こしたばかり──。

 と、ねむい頭で電子計算機並みに計算して、先週、予想の数字を聞いて来た直接の担当者Cと、起こされていることをあきらめているはずの公式スポークスマンの二人を選ぶ。

 

 

 ねむたげな声、ノーコメント

 

 Cの電話はなかなかでない。もうやめようかと弱気になりかけたとたん、受話器を取り上げる音。「起こして本当にすまぬが、美濃部が勝った。君の予想はどうか─」「勝ったというが、それは最終結果か──」。そのねむたげな声はどこまでも意地が悪い。まだそんなもの出ているわけはないじゃないかといいきかせながらも、ふと冷汗が流れる。

 しかたがない。「私の意見では、日本の政治の新しい傾向として重大な意味を持っているように思える。君も知っているように、大学教授の政治参加は本当に日本ではめずらしい──」と話をかぶせるが、ただ「ヤアーヤアー」の合いづち、なんの反応もない。それではと、ずばり「いま反響を一本打たねばならない」と切り出す。敵はようやく真声になったが、「あなたもよく知っているように、他の国の内政問題には論評できない。ただこの間も話したように、われわれは大きな関心を持って来た。結果を慎重に分析したい」。あとはあす朝早く女房のいなかに帰らねばならないからと逃げの一手。

 こちらもふと時計をみれば、あと締め切りまで一五分。「サンキュー」と電話を切る。

 つづいて最初から「ノー・コメント」を確認するつもりでかけたスポークスマン氏は、「そんなことはなにも聞いていないし、なにも知らない。したがってなにも論評できない」と、言葉使いはていねいだが、おかど違いといわんばかりのよそよそしさ。それもその通り、あいつのところに美濃部の話が回っているわけもないし、回っていたら、むしろおかしいと、あと味の悪い"反省"を飲み込みながら、直接、テレックスのテープを切る。

 Cが最大限の好意で注意を喚起してくれた「この間の話」、つまり「美濃部の勝利は既成の政党のワクを破り、事実上の多党化傾向のきっかけとなるのではないか」という分析を軸にした原稿である。なんとか流し終わると、東京は「いま美濃部の当選が決まった。ゴクローサマ、バイバイ」と答えて切れた。

 

 

 「反響」電に問題はないか

 

 この深夜のワシントンでの日本もの反響騒ぎは、直接米国の利害と結びつくため、即座にちゃんとした声明が用意される屋良当選のようなケースを除いて、おおむね五十歩百歩。佐藤三選、内閣改造となると、「政権が変わったわけでもないのに」とあけすけに不思議がられる始末となるが、いまや米側にも有名な「反響」には、二つの問題点が提起できるようである。いずれも「同時性」の問題と不可分である。

 一つは、どうして夕刊ぎりぎりに「反響」が必要なのが、なぜ朝刊にずれてはいけないのか、ということである。この理由については一応「早さときまり」を求めるこれまでの紙面作製上の習性からと説明されているが、さらに一歩突っ込むと、ノー・タイムではいる米国、そして世界のニュースとの同時性への慣れの反作用として、つねに日本の大ニュースにも米国および世界からのノー・タイムの意味づけを求める深層心理の産物ともいえるようである。

 なぜ、たとえ二、三日遅れても時間をかけた内容のある反響がまとまるまで待てないのか(ワシントンへの東京米大使館からの正式報告の経過時間から逆算しても、一般に米当局者が彼らなりに事態を掌握するのは早くても訓電の時間からまる一日遅れとなる)。このままでは、「反響予定稿」といった奇怪な仕事まで生まれかねない。

 第二は、そもそもこうした日本の出来事にたいする反響電が、どれだけ、どこまで必要なのだろうかということである。もちろん一般論としては、日本のニュースにたいする米国の受けとめ方、分析、解釈、期待、不安をまとめ伝えることは、米国ニュース・カバーの重要な仕事である。しかし、果たして美濃部当選や、たびたびの内閣改造といったニュースに、大騒ぎの反響電が必要であろうか。

 いま再選に苦労しているニューヨークの革新市長、リンゼーは、広範なリベラル勢力を糾合して当選した点ではまったく美濃部さんのケースと同じで、米政界に与えた期待、ショックの大きさも同じ程度だった。しかし、AP、UPI、あるいはニューヨーク・タイムズがこのニューヨーク革新市長の出現にたいする「東京反響」「各国反響」をまとめただろうか。

 

 

 日米関係のヒズミの中で

 

 記者の滞米中、各国反響が一本立ちで紙面に姿をみせたのは、大統領選挙、ジョンソン辞任、北爆再開と停止、ロバート・ケネディ、キング暗殺のときぐらいである。

 これを日米間の不平等関係のシンボルと嘆いてしまえばことは簡単である。そして問題の根は単なるニュース・カバーの技術論ではなく、日本と欧米とのそもそもの関係のはじまり、つまり日本の近代史そのものにさかのぼるし、さらには戦後の、まず米国の出方をうかがう「反響政治」「反響外交」の体質とも無縁ではない。だが、現実にこの矛盾がなんの抵抗もなく、ただ見すごされているのは、やはりあまりにも豊かな日本における米国の「同時性」がもたらす不幸な錯覚の結果ではないだろうか。この意味で、ワシントン特派員の仕事には日米関係全体の重味とヒズミがのしかかっている。

© Fumio Matsuo 2012