2004_01_「自衛隊イラク派遣」と首相の責任(中央公論)

『中央公論 2004/01』

特集 「自衛隊イラク派遣」と首相の責任

 

●若手ネオコン、曲がり角のイラク政策を語る

 

ベトナム型撤退は将来に禍根を残す

 

マックス・ブーツ

(米外交問題評議会特別研究員)

 

聞き手◎松尾文夫

(ジャーナリスト)

 

米国はイラクでパンドラの箱を開けてしまった。開戦前にあれだけ対立した国連にも再接近、 そしてイラク人への権限移譲も早まることに。これはベトナム戦争の出口戦略そのものではないのか

 

──二〇〇三年八月、イラクに行き、二、三週間滞在されたそうだが。イラク関係の最近のニュースは、われわれ全員にとって、あまりうれしいものではない。この事態をどう評価しているか。

ブーツ:戦争はまだ終わってはいない。しかし、われわれは死傷者を出しているが、この問題がどれほど深刻かは、見る人の視点によって異なる。五月一日に主要な戦闘が終わって以来、一五○人以上もの兵士を失ったわけだから、もしこれが純粋に平和維持的な活動だとすれば、多数の死傷者が出ている、と言わざるをえない。だが、まだ戦争は終わっていないとみなし、戦争という基準で考えれば、死傷者はさほど多いとは言えない。

 一部の限られた地域では、戦争はまだ続いていると言うべきだが、シーア派とクルド族が支配している地域は、比較的、平和で安定している。われわれが手を焼いている問題の大半は、バグダッドと、その周辺の「スンニ・トライアングル」(主にスンニ派住民が住む地域)で起きている。

 われわれが相手にしているのは、その人口の約二〇%を占めるスンニ派の連中だ。彼らは、サダム・フセイン政権から恩恵を受けた人々だ。フセイン政権を支えた人殺したち、つまり同政権の秘密警察関係者や取り巻きたちは、依然として野放しになっている。彼らは、三月から四月にかけて行われた軍事作戦からなんとか逃れて潜伏しながら、米軍に対する攻撃を続けている。彼らには、三〇年間にわたってイラクの人々を、拷問し、殺してきた長い歴史がある。だれかに阻止されるまで、続けるだろう。われわれは、まさにそれを止めようとしているのだ。

 だが、これは簡単な仕事ではない。死傷者は出続けるだろう。ゲリラ戦争を数週間で終わらせることはできない。それには時間がかかる。何よりも必要なことは、現地にとどまることだ。

──サダム・フセインが開戦前から、現在のような地下に潜っての組織的、持続的抵抗を考えていたとは考えられないだろうか。

ブーツ:そうは考えない。もし考えていたら、もっと効果的な低抗運動をしていただろう。いま起きているのは、非常に場当たり的なものだ。だが、そのための格好の道具を彼らは保持している。サダム・フセインは、イラク国民から何十億ドルも収奪した。彼とその支持者たちの手には、依然として大量の資金がある。したがって彼らは、褒美を出して人々をそそのかし、米国人を殺させることができる。

 そしてまた彼らは、外国からも、一部の「ジハディ」(イスラム聖戦の戦士)たちをイラク国内に引き寄せている。米国人を殺したがっている、原理主義の狂信者たちだ。対米攻撃には一定の計画性が認められる。特にバグダッドでの巨大な自動車爆弾による攻撃は、ヒズボラやアルカイダなど、よく組織されたテロ・グループの特徴を如実に示している。巨大な自動車爆弾は、簡単に組み立てられるものではない。これらの事件は、外国人のジハディによるものではないかと思っている。

 これに対して、攻撃の大半を占める「ヒット・エンド・ラン」型のロケット・ランチャーや即席の爆発物を用いた米軍への攻撃は、おそらくサダム・フセインの元治安部隊の仕業だと思う。

──私はベトナム戦争の時、サイゴン陥落に至る敗北の時期をインドシナの現地で取材した経験がある。米国は今度のゲリラ戦争に勝てるのだろうか。

ブーツ:米国がイラクにとどまる力がある限り、勝つのはさほど難しいとは思わない。ベトナム戦争の記憶が引き合いに出されるが、私は、比較すべき点が多いとは思わない。われわれはベトナムで、北ベトナムと、北ベトナムが支援するベトコンの、計一〇〇万人以上の兵士と対峙していた。そして北ベトナム自体も、ソ連と中国という二つの大国の支持を得ていた。敵方は、米国と戦争をするうえで、途方もなく大きな余力を持っていた。

 われわれがイラクで直面している脅威は、それとは質的に異なっている。せいぜい数千人の殺人者やならず者の集まりだ。おそらく一八九九年から一九〇二年にかけてフィリピンで起きた対米反乱ほどの大きさもない。

──私はジョンソンがベトナム戦争を拡大した時期も米国で取材した。9・11というショックがあるにせよ、米国という国は、こうしたゲリラ戦争を戦うには、なかなか難しい国なのではないだろうか。

ブーツ:イラク問題を眺めるとき、われわれが本当に敗北するとすれば、それは二つの場合しかない。

 一つは、ナシリアのシーア派聖職者集団が、米国に刃を向ける場合だが、いまのところその兆候は見えない。大アヤトラのアリ・アルシスタニをはじめとするシーア派社会の指導者たちは、米国が強い指導力を発揮してイラクを民主化することを、大いに歓迎している。彼らは、スンニ派の殺人者たちが権力を握ることを望んでいない。サダム・フセインの復権を望んではいない。イラクの現地で負けるとすれば、それはシーア派の支持を失った時ということになるが、いまのところ支持を得ている。

 もう一つの場合は、要するに、継続する意欲が米国内で殺がれてしまう時だ。問題のならず者や殺人者たちが試みているのは、まさにそれだ。国連の現地本部や国際赤十字を攻撃し、米国の兵士を殺害することによって、彼らは、われわれの継続意欲をくじこうとしている。

 彼らはそれに成功するかもしれない。その可能性は否定できない。現実問題として、彼らが勝利する道は、それしかない。実戦で軍事的に勝とうとしているのではない。われわれに多大な打撃を与えて、われわれの継続意欲をくじこうとしているのだ。だがブッシュ大統領が政権にとどまるかぎり、彼らがそれに成功することはないだろうと思う。

 

 

 大量増派は得策ではない

 

──しかし、そうはいっても、これまでの対イラク軍事戦略に齟齬があったことは間違いないのではないか。

ブーツ:そう、振り返ってみれば確かに、われわれにはいくつかの失敗があった。われわれの持っていた戦争計画は、十分な戦力によって、イラク軍と共和国防衛隊を打ち負かす、というものだった。だが、いま振り返ると、イラク全土を占領するのに十分な兵力ではなかったと思う。そして特に、四月九日にバグダッドを奪取したあと、われわれは進撃を中止するという間違いをおかした。バグダッドの北方に十分な攻勢をかけなかった。当初、計画していたにもかかわらず、一個師団を北部から南下させることができなかったからだ。トルコからイラク入りする許可を得られなかったためで、その結果、バグダッドから外に出て迅速な攻勢をかけ、フセイン勢力の逃走経路を十分にふさぐことができなかった。彼らの多くは米軍の手を逃れ、バグダッドの西方と北方にあるスンニ派の町などに避難することができたと思う。

 われわれは一九九五年のボスニアと九九年のコソボではうまくやった。圧倒的な軍事力で占領したことも、その一つだった。それによって、相手はいかなる抵抗もできなくなった。そうした圧倒的な軍事力は、四月九日にサダム・フセイン政権が倒れて以来、まだイラクには存在していない。

──ネオコンはラムズフェルド国防長官に対して、米軍の数を増やせと主張し、かなりの対立が表面化しているようだが。

ブーツ:たしかにネオコンは『ウィークリー・スタンダード』誌などを通じて、そう主張している。しかし、私は必ずしも、ただちにイラクに増援部隊を送り込む必要はないと思う。なぜなら、大兵力が物を言うと考えたベトナムでの失敗を、繰り返すことになりかねないのではないか、と思うからだ。ベトナム戦争では、現地のウエストモーランド将軍らは、戦況が不利になると、その解決策として、とにかくジョンソン大統領に増派を要請した。そうやって部隊を送り込み続けたが、大兵力にもかかわらず、われわれは負け続けた。ゲリラ攻撃に直面した時、重武装の大部隊は必ずしも答えにならないからだ。

 必要なのは、相手を絞った情報収集活動だ。地元の住民と一緒に暮らし、彼らの信頼を得て、ならず者の居場所を探り出す特殊部隊だ。そしてまた特に必要なのは、地元の同盟者たちを訓練することだ。敵の動きに関する情報は、彼らのほうがはるかに簡単に収集できるようになるだろう。そしてこうした事柄こそ、いままさに米軍が最優先にすべきものだ。なぜなら、イラク国内の自由を守るために、自ら反乱分子と戦うことのできる大勢のイラク人を訓練し、彼らに装備を与えることこそ、イラクで長期的な勝利を収めるための唯一の道だということを、だれもが悟っていると思うからだ。

 もちろん、こうしたイラク部隊を訓練し、現場に派遣するまでには、しばらく時間がかかる。この点に関してはイラク軍を解体したのは失敗だったろう。だが、それはもう過ぎたことだ。

 われわれは、テロリストに対抗するため、新たなイラク人治安組織を仕立て上げようとしている。だが、それにはかなりの時間がかかる。そこが問題だ。当面、どうすればいいのか。仮に十分な兵力があったとしても、すべてが米兵の肩にかかってくるのだとしたら、どうなるのか、実際問題として私には見当がつかない。

 ただ、米軍の手であまりにも多くをなしとげようとすることには、用心すべきだと思う。そう、できるだけイラク人に任せる必要があると思うからだ。

 

 

 米国は耐えきれるか

 

──米国は、いわばパンドラの箱を開けてしまった。そしていまのところ、状況を迅速に解決する方法はない。次の大統領選挙が近づいているが、米国の世論は、どれくらい現状に耐えられるのだろうか。

ブーツ:目下、米国の経済は大きく改善に向かっている。これが、イラクの将来にとって最も前向きの兆候と言える。われわれの第3四半期の国内総生産(GDP)は、七・二%ほどの上昇を示している。これは非常に強力な数字だ。これはおそらく来年に入って経済がかなり好転する前兆だろう。そうなれば、ブッシュ大統領の再選の可能性にも弾みがつく。そしてさきに述べたようにブッシュ再選がおそらくイラク問題のかぎを握っていると思う。たとえ民主党の大統領が政権の座についたとしても、やみくもに撤退することにはならないだろうが、たとえば、特にハワード・ディーンのような人物が大統領選挙に勝てば、撤退の可能性は、はるかに高くなる。

 ブッシュ大統領は、信念の人だ。そして彼と、ラムズフェルド国防長官らの政権内の人々は、過去のできごとを見てきた。

 かつて米国は、いくらかの死傷者を出したあと、中東やアフリカの国々から漫然と追い出されてしまった。一九八三年にはベイルートで二四〇人の海兵隊員を失い、撤退した。一九九三年にはモガディシオで、特殊部隊とデルタ・フォース部隊の隊員一八人を失い、撤退した。これらのできごとは、米国の弱点をわれわれの敵に教えるという、恐るべき結果をもたらした。そのおかげで彼らは増長し、いま、われわれを攻撃し続けている。

 ブッシュ大統領とラムズフェルド国防長官らは、われわれがイラクで再びそのような弱みを見せれば、途方もない災厄を招くことを悟っていると思う。テロに対する戦いで白旗を掲げることなどできない。したがって、彼らは最後までやり抜く決意だと思う。そして、彼らがその気である限り、基本的に国民はついていくだろう。だが、同時に彼らも、もっとうまく政策を国民に売り込み、イラクで何を行い、そこで何が利益になっているかを、説明する必要があると思う。

──あなたは八月に『ニューヨーク・タイムズ』紙への寄稿で「米国の兵力と資金には限界がある。国連に戻るべきだ」と主張した。その後、ブッシュ大統領は、パウエル国務長官に国連との関係修復を命じている。

ブーツ:この流れは今後も変わらないと思う。

 

 

 ベトナム方式の撤退はあるか

 

──私は、ラムズフェルド国防長官に、一九六九年に第二回下田会議で、八一年にシカゴの彼の事務所で、直接会ったことがある。とてもスマートな人物で、下院議員をつとめ、かつ経営者としても成功した。ネオコンの理論家とはひと味も、ふた味も違う人物だと思っている。あなたが『フォーリン・アフェアーズ』誌で書いている通り、今回のハイテク兵器を中心としたバグダッド攻略戦を、非常に誇りにしているようだ。しかし、その成功にこだわり、さらに、そもそも国防長官就任以来手掛けていた米軍の合理化・再編もあり、制服組との間にも摩擦が出ているのではないか。

ブーツ:ラムズフェルド国防長官には、肯定的な側面と否定的な側面がある。否定的な側面の一つは、国づくりという概念に対して、かなり大きな敵意を常に抱いてきたことだと思う。国づくりは、われわれのすべきことではない、と彼は考えている。

──国づくりには関心がないのか。

ブーツ:彼は伝統的な保守派だ。国づくりなどといった考え方に懐疑心を抱いてきた人物だ。したがって、迅速に脱出する戦略を愛している。あなたが言うようなネオコン系とは全く異なる人物だと思う。

──私が注目しているのは、彼が「イラク人化」さらには「多国籍化」によって米軍を縮小し撤退する青写真を、第二次大戦後のドイツ占領期と比較して述べていることだ。私は、かつてニクソン大統領が名誉ある撤退の方法として考案した「ベトナム人化計画」のようなものを、彼も考えているのではないかと疑っている。ブッシュ大統領も、大統領選挙をにらんでこうした出口戦略に賛成しているのではないか。

ブーツ:もちろんだ。開戦の一日目から、彼らは出口戦略と脱出戦略について考え続けていると思う。今年の春を振り返ってみればわかるように、ペンタゴンはイラク派遣軍の兵力をきわめて迅速に削減するつもりだった。ところが攻撃を受け続けたため、そうすることができなかった。歴史の記録を振り返るなら、ベトナムにおける、いわゆるベトナム人化政策は、現地の治安維持組織を構築し、人々が米国に過度に依存することなく、自ら防衛できるようにするという意味で、正当なものだった。もっと早い時点でそれに着手していれば、ベトナム戦争の結末も変わっていたのではないかと、私は思っている。したがって、イラクでも同じことを行うのは、基本的に正しいと思う。だが同時に、機が熟さないうちに撤退するべきではない。そんなことをすれば、最悪の事態を招くだろう。反乱分子の抵抗が続いている限り、撤退は行わないと思う。

──ニクソン大統領は、ベトナム人化計画を口実にして「平和が訪れた。米国の使命は終わった。いまやベトナムに別れを告げるべき時だ」と、米国民に説明した。同時に説得力を持たせるため歴史に残る毛沢東との握手、ソ連とのデタント達成、そして、インドシナ現地では、北爆や、ラオス、カンボジアへの侵攻など、激しく武力を行使し、南ベトナム軍への移譲の舞台を作った。今回、ブッシュ大統領には、こうした選択肢が非常に限られているのではないか。ラムズフェルド国防長官は、一、二年後にはイラク人の部隊を訓練して、米軍は別れを告げることができるだろう、と言っている。本当にそんなことができるのだろうか。

ブーツ:イラクの場合だが、イラク人の治安部隊が警察と防衛の責務を自ら負えるようにすることは、間違いなく可能だと思う。そして数年のうちに、われわれの兵力を削減することは、間違いなくできるだろう。そうなれば、一三万人の兵力ではなく、もっとはるかに小さな軍事力ですむだろう。だが、完全に撤退できるようになるとは思えない。なぜなら駐留米軍は、民主的に選挙されたイラク政府が、内外のあらゆる敵から身を守るうえで、死活的な支援の源泉となるからだ。したがってわれわれは、長期間にわたりイラクに兵力を維持しなければならないだろう。だが、数年のうちに治安状況は大きく改善されるから、米軍が攻撃を受けたり、死傷者を出したりすることはなくなるだろう。そう期待している。

 

 

 ネオコンが追求する理想論

 

──ラムズフェルド国防はイラクの国づくりに関心を持っていないということだが、ネオコンの人々は依然として、イラクの民主化を一種の使命と考えているようだ。私は彼らがベトナム戦争時の「ベスト・アンド・ブライテスト」と呼ばれるエリートの集団と同じような存在だと映る。

ブーツ:ブッシュ政権内部では意見が割れている。問題は、どの意見が通るかだ。ラムズフェルド国防長官自身は、イラクの民主主義化という目標に、さほど興味を抱いていないのではないか、という気がするが、明らかに、ウォルフォウィッツ国防副長官は非常に関心を持っている。間違いなく彼は、イラクとアラブ世界に民主主義を植え付けたいと、深く決意している人物だ。

 イラクを攻撃しサダム・フセインを打倒することに関しては、米国のあらゆる政治階層を通じて、そうすべきだという広範な合意があったと思う。だが、その次に何をするかという点に関しては、政治的な保守派とネオコンと呼ばれている人々の間に亀裂があると思う。ネオコンは、自由と民主主義の普及に保守派よりも関心を抱いている。

 ネオコンが基本的に試みているのは、この両者のいちばん良いところを取ることだ。リベラル派の理想主義を取り、そこに保守派の剛直な戦略を組み合わせて、一つの政策にまとめ上げる。それは基本的に、米国の特質をより強めるための政策だ。だが、国際法や、国連などの国際機関の力は、極めて危険なこの世界の中で、米国の理想を擁護するのに十分ではない。したがってわれわれは、米国の理想を、現実の力で後ろ支えする必要がある。そう考えているわけだ。

──かつて十九世紀の米国は、「マニフェスト・デスティニー」(明白な天命)というスローガンの下に、先住民を排除して西へ西へ拡大していった。ベトナム戦争でも、「ベスト・アンド・ブライテスト」たちが、一種の使命感にかられて戦争を拡大していった。あなたを含むネオコンの言う米国独り勝ちの結果である「自由の帝国」としての米国の世界に対する義務、という考え方には「マニフェスト・デスティニー」の響きを感じる。

ブーツ:あなたの指摘は、多くの真実を含んでいる。ただ、イラクにおける戦争を提唱した人々と、ベトナムでの戦争を支持した人々を、同列に置いて論じられるかどうか、私には確信が持てない。なぜなら、この二つの戦争は非常に性格が異なり、規模も大きく違っているからだ。イラク問題は、成り行きを見るしかない。つまり現時点で結末を判断するのは非常に難しい。まだきわめて初期の段階にあるからだ。そしてすべては、これから一、二年のうちに何が起きるかにかかっている。

 

(翻訳=山口瑞彦・読売新聞東京本社調

査研究本部特別研究員)

 

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