2003_01_「アメリカという国」を考える(その三) (渋沢栄一記念財団機関誌・青淵)

渋沢青淵記念財団竜門社

機関誌「青淵」(二〇〇三年一月号)

 

「アメリカという国」を考える(その三)

 

松尾文夫(ジャーナリスト)

 

 

 もう少しアメリカ建国の原点といったものを考えてみたい。

 たまたま昨年九月中旬から十月初めまで、日米関係の資料調査のため、南カリフォルニアのニクソン・ライブラリーを振り出しに、ロサンゼルス、ニューヨーク、ワシントン、ボストン、そしてメイフラワー着岸の地プリマス─と、この巨大な大陸を横切り、太平洋と大西洋双方の水に触れて来た。そこで触れておいた方がいいと思ったのが、あのアダム・スミスが一七七六年三月、つまりアメリカ独立宣言の四カ月前に初版を出版した高名な『国富論』(原題は"An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations"。本稿は主に岩波文庫・水田洋監訳による)のなかで、アメリカ人ついて述べているくだりである。

「母国への従属という点では古代ローマの植民地に似ているが、ヨーロッパから遠く離れていたため、その従属の影響は多かれ少なかれ減殺されていた。その位置からいって、母国の監視も努力もローマの場合より及ばないところにあった」。「ヨーロッパの諸政府は植民地の創設でほとんど功績がなかった。イングランド政府は北アメリカでの最も、重要な植民地

の創設で、ほとんどなんの助力もしなかった」。「アメリカに植民し、それを耕作したのはヨーロッパ諸政府の英知や政策ではなく、無秩序と不正だったのである」。「これらの植民地が成し遂げた急速な進歩を予見し、想像した人は当時、ヨーロッパにもアメリカにもいなかった」─などなどである。

 

 

アダム・スミスの的確な判断

 

 要するに、イギリス帝国にとってアメリカ植民地とは、その正式な政策決定なしに築かれた独特な存在であった、というのがアダム・スミスの認識であった。海外からの収奪に依存する重商主義を批判して「レッセ・フェール」の経済を主張、資本主義経済学の始祖となったスミスがアメリカに大きな関心を示していた事実はあまり知られていない。

『国富論』の最後は「イギリスの支配者は過去一世紀似上の間、大西洋の西側に大きな帝国を持っているという想像で国民を楽しませて来た。しかし、この帝国は想像のなかにしか存在しなかった。つまり、なにも利潤をもたらしそうもないのに巨額の経費が現にかかっており、これからもかかり続けるであろう計画なのである。負担のかかる計画から解放されることを考えておいた方がいい」といったアメリカ独立を容認する分析で結ばれている。

 確かに、イギリスのインド、オランダの東インドなどでの植民地経営に代表さ

れるように、本国が現地先住民を支配するかたちで成立した一般的な植民地とアメリカの場合は大きく異なる。

 イギリス本国からの移住者がそれぞれの地域でインディアンという先住民族を排除し、駆逐し、その多くを殺害しながら、いわば勝手に植民地経営に乗り出したのがアメリカである。

 

 

 独立革命という名の分離

 

 イギリス国教会の支配に反発する清教徒は、メイフラワー号によるプリマス上陸を皮切りに、ニューイングランドのマサチューセッツなどに四つの植民地を築く。同じく抑圧されたカトリック教徒はメリーランドに、クエーカー教徒はペンシルバニアに、それぞれ植民地を開く─といった具合である。プリマスでは、「統治されることの合意」として、後にアメリカ民主主義の出発点と位置付けられ、神格化もされる「メイフラワー誓約」まで生まれる。

 宗教的な不満分子の脱出だけではない。バージニアを中心とする南部各地には、現在でいうロンドンのベンチャー・キャピタルのファイナンスを受けたエンタープルナーたちの活動が奴隷制とともに持ち込まれた。

 移住者たちも最初はイギリス王国への忠誠を誓い、その特許状のもとでの移住というかたちを受け入れている。しかし最後には、軍隊まで増強して徴税強化策を打ち出した本国政府との利害の対立から、「被支配民族」へと立場を変える。そして本国からの「常備軍」と「民兵」という名の移住者との「革命戦争」を経て、「独立革命」と呼ばれる本国からの分離を果たすのが、アメリカ合衆国誕生の物語である。

 このわく組みは、建国の父たちによってきちんと受けとめられていた。独立宣言の起草者であるジェファーソンは独立前の大陸会議で「アメリカの地が制服され、そこに定住地が成立したのは、移住者個々人の血と財産が注ぎ込まれたためで、国王たちの国庫からは一シリングも支出されかしなかった」と演説する。従って、かつてヨーロッパ大陸から移住してきたサクソン人がイギリスという国をつくったのと同じように、アメリカ移住者にも新しい国家をつくる権利がある─というのがジェファーソンの主張である。独立宣言でも、この論理が展開されている。

 そして、ジェファーソンは後に「アメリカはヨーロッパのシステムとは別個の、アメリカ独自のシステムを持たねばならない。われわれは専制主義の本拠になろうとしているヨーロッパとは異なり、この西半球を自由の本拠とするようにしなければならない」と述べる。

 ヨーロッパから四八〇〇キロの大洋によって隔てられた新大陸という名の巨大な空間で、アダム・スミスがするどく指摘したように「無秩序」に花開いたアメリカという国のルーツを確認しておかねばならない。いま「自由の帝国」の責任だとしてイラク攻撃準備を進めるアメリカの思い込みは、ここまでさかのぼって理解しておいた方がいい。

© Fumio Matsuo 2012