1996_02_米国の生き方(月刊文藝春秋・巻頭随筆)

『文芸春秋 1996/02』

米国の生き方

 

松尾文夫

 

 昨年十一月、九カ月ぶりにニューヨーク、ワシントンを再訪した。途中ロンドンにも回り、二週間ばかりの出張だったが、日本については、どこに行っても必ず大和銀行事件の話が出た。多くの米国の友人たちからは「株主より会社、役員、従業員を大切にする日本の資本主義の特異性を改めて知った」と皮肉られたり、心配されたりして、改めて日米関係の難しさをかみしめる旅となった。

 しかし、同時に、どこに行っても米国経済の元気の良さに目をみはる旅でもあった。このショックの方が大きくあとに残った。

 とにかく、米国はコンピューター・ソフトによる技術革新で勝利をおさめ、ボーダーレス時代の経済で圧倒的な優位を築きつつあるのだ、との自信と熱気がいたるところに立ちこめていた。ウォール・ストリート・ジャーナル紙では「米国の企業には、かつて電力やガソリンが到来した時代にも似た百年に一度のビジネス・チャンスが訪れつつある」といった記事がトップを飾っていた。ボイスメール、電子メール、ホームバンキングなどいわゆるマルチメディア商品が古くからの友人たちの生活の一部になりつつあった。この変化のスピードにはただならぬものを感じた。

 景気そのものも、拡大のスピードは鈍っていたが、後退を懸念する声はほんの一部にかぎられていた。だれもがダウ平均の五千ドル台突破を信じていた。東京から行くと、とにかく物価が安い。特に食事代は日本料理を除けば、本当に安い。ニューヨークでも、ワシントンでも、ホームレスの群が減っていた。路上も大分きれいになった。治安も大幅に改善されているという。

 私は、ジョンソン大統領がベトナム戦争拡大の引き金を引く直前の一九六四年十二月、初めてニューヨークに特派員とし

て赴任した。第二次大戦戦勝後の米国興隆の最後の一ぺージといった感じの豊かさが残っていた時代である。家内と二人で深夜のセントラルパークを散歩しても平気だった。こんど五番街を歩いてみて、あのころのさんざめきとはほど遠いものの、その後の荒廃に比べたら格段の落ち着きを取り戻しているのがわかった。「なぜ米国の景気がこんなに長持ちしているのか?」といろんな人に聞くと、米国人も在留邦人も、みんなが待っていましたとばかりに解説してくれるのが印象的だった。その最大公約数をまとめると、次のようになる。

 ──技術革新と冷戦勝利の恩恵をフルに生かした企業のリストラと国際化が進み、次々とベンチャービジネスも飛び出して、米国経済はかつての生産性と競争力を取り戻している。その結果、すべての経済活動でコスト・カット、つまり低価格競争が進行し、旧東側諸国の市場経済化による格段と安い輸入品の流入もあって、なかなかインフレにならない。一般消費者もレーガン時代の借金経済の教訓に学び、財布のヒモが固くなり、景気過熱へのペダルをなかなか踏まない──。

 ケインジアンでもサプライサイダーでも説明がつかない、新しい景気サイクルが生まれつつあるのだ、という人もいた。インターネットに代表されるコンピューター・ソフト、情報通信サービス分野での世界一の実力が政府の経済指標に正確に計算されれば、米国の貿易赤字など消えてなくなる、といった主張もあった。

 もちろんバラ色の話ばかりではない。貧富の差は間違いなく広がっている。プラザホテルにタクシーで行ったら、アラブ移民だという運転手から「こんなホテルに入れるなんて、なんと幸福なヤツだ」と言われたのには驚いた。中産階級以下の収入はここ十年間増えていないといわれ、物価の安値安定で救われているのだという。

 クリントン大統領は、財政赤字の解消という積年の懸案にメスを入れようとする点で共和党議会と一致しており、社会福祉は全体として緒小の方向である。「弱者切り捨て」の上での好景気の継続であることは、みんなが認めていた。このため、ブキャナンら共和党保守派の間では、五年間の移民受け入れ禁止、輸入制限などを唱える経済ナショナリズムがくすぶりはじめていた。

 しかし、この米国経済再興の守護神といわれているグリーンスパンFRB議長が私の滞在中の演説で、この影の部分を正直に認め、「コンピューター革命」の恩恵が一般市民にはまだ届いておらず、逆に「貧困のポケット」を先鋭化させていると警告していたのには、感心した。FRB議長にこうした冷めた目があることで、米国の新しい生き方にも救いがあるように思えた。

 同じように、大統領選出馬を辞退したパウエル将軍が共和党員になると明言したことは、黒人を二大政党制の枠内に定着させる努力の一つとして高く評価されている事実を見落してはならない。シンプソン裁判が白人、黒人のミゾを深めたことは事実だが、同時に、米国が今後永遠に多民族国家として生きていかざるを得ず、またそれがこれからの競争の時代での米国の生き残りにとって大きな財産になるという認識と現実は、だれもが受け入れている。

 米国は、こうしてさまざまな矛盾をさらけだしながら、ポスト冷戦での生き方をなりふりかまわず切り開きつつある。この米国という国のエネルギーと若さとフトコロの深さと、不況脱出も果たせず、すべての懸案を新しい年に持ち越した日本との大きな落差がいつまでも気になる旅であった。米国をあなどってはいけない。

© Fumio Matsuo 2012